ゆきまろプロット

究極マイペースぼっちがおくる生きづらい日々との葛藤ブログ

生きづらさを放置すると私みたいになるぞ!

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はじめまして。どんくさいことにおいては右に出る者がいないと自負してならない、ゆきまろです。

生きづらさという言葉に出会って3年が経ち、何回かの爆発と数えきれないほどの自己嫌悪を経て、昨年ついに心が死にかけたので、ブログを開設することにしました。

同じように生きづらさを抱える人たちに、これを反面教師にして無駄なストレス浴びないでほしい…という思いからです。

 

今回ははじめの記事として、私の来歴を綴っています。

 

 

生きづらさの自覚。他人との分厚い壁

生きづらさを自覚したのは大学の頃です。それまでもやたらと計算が苦手だとか、指示の一部しか頭に入っていなくて一人だけ違う行動をしていたりだとか、色々あったんですが、大学での友達付き合いや、ゼミの活動なんかを通じて、生きづらさが徐々に浮き彫りになりました。

はじめは漠然とした違和感で、なんか周りになじめないというか、4年間も一緒にいるのに全然気の置けない仲になれなくて、私だけどこかよそよそしい。それは友達ともそうだけど、思えば昔から、自分の周りに対して分厚い壁がありました。

どうして皆、先生と仲良く話せるんだろう。

どうして先生も、私以外とはあんなによく雑談するんだろう。

どうして何年も一緒にいる友達にこんなに気が許せないんだろう。

話す話さないは、内気な私の性格ゆえに当然っちゃ当然かなと思うんですが、長年の付き合いの友達にも気を張ってしまうのは何故だろう、もっと素直に接したいのにうまくできない、と葛藤していました。

 

「生きづらさ」という言葉との邂逅

「社会人になったら野垂れ死にそうだなー」とは思っていました。結果的に、野垂れ死んではいませんが、精神的にはその一歩前まで抉られた感覚です。

就活自体も波瀾万丈でしたが、就職してからが本当の地獄でした。新卒で医療事務になったんですが、事務作業もありつつ専門知識も必要な職で、躓くのは当たり前なんですよ。

でも専門分野で躓くのは納得できても、アルバイトでも勤まるような単純な事務作業すらできない、果てはありえないほどのミスを連発するに至り、気付けば同期の中で私だけがミスの報告書を書いている。

それに負い目を感じるのと同時に、着任当初から職場に居心地の悪さを感じていて、他人との壁もあって同期とも上司とも打ち解けられず、毎日心が死んでいくようでした。

虚ろな目で通勤電車に揺られ、ミスに怯えながら仕事をして、狭い休憩室で歯磨き粉の匂いを嗅ぎながらお弁当を食べ、デスクに戻ればまたミスに怯え…

残業もほとんどないのに、帰る頃にはくたくたで、それでも明日がくるのが嫌で眠りませんでした。

そんな日々を過ごしながらも、スマホだけは手放さず、自分と同じような人がいないかググってたんですね。最初はなんて単語で検索したらいいのかも分からず、つらいと思ったことをそのまま書いてみてました。

そうするとだんだんと自分と似ている人の話がヒットしてきて、読むたびに新しい単語が入ってくる。その中に「生きづらい」はありました。

読んだ途端、それだ!!と開眼したのを覚えています(笑)

 

自覚したが対策も改善も追いつかず病み期に入る

まあ自分の状態が分かったとて、心がけだけではうまくいきっこないんですよ。心持ちひとつで事態が好転するなら20年弱も苦しんでるわけがない。

「生きづらさ」の記事やつぶやきに支えられながらも、新卒で辞めるのはさすがにやばそう、と躊躇した私は、「こんなふうに仕事が勤まらないのは、結局は私の怠慢でしょ」と自分に鞭打って仕事を続けていました。

どうにか半年を過ぎて、有休も付与されて、秋になる頃。

職場のトイレで泣いているようになりました。

それだけじゃなく、具合が悪いことが増え、生理痛とPMSが重くなり、常にふらふらめまいがする。飲んだ薬でなぜか通勤中だけ吐く。家に帰ったら帰ったで、泣いたり寝込んだりしている。

親には見られたくなかったのですが、実家暮らしで隠れて泣けるわけもなく。見つかってめちゃめちゃ心配させてしまいました。この頃はちょっとした心身崩壊起こしてた。

休みを頻繁にとったり、早退することがじわじわと増え、自分の限界を悟りました。もう職場にも行きたくないし家にも帰りたくない!と思って友達の家の近くの公園に逃げたこともあります。なんという微妙な逃避行。

あ、早退届は出した上でね。そこは真面目野郎なんで。

 

結果、職場を去った

8ヶ月の奮闘の後、私は退職を決意しました。

面談で「もうこれ以上は無理です」という旨を伝え、なるべく早くに退職したいと申し出ましたが、それは難しいと言われ…。交渉した結果、私は常用型派遣の医療事務だったので、ひとまず病院から離れて、派遣元の本社に異動となりました。

 

異動までの期間が一番絶望的でしたが、ある人のおかげでどうにか腐ることなくやり通しました。

(ある人についてはこちらの記事にて詳しく書いています↓)

yukimaroplt.hatenablog.com

 

 

新しい居場所、そして再びFly away

さて、退職する気満々で異動した私でしたが……結局、このときは退職しませんでした。

というのも、異動後にさらにとばされた職場が居心地よくて(^_^;) 短期間のはずが向こうからもお声がかかり着任することになりました。チョロいですね私。

しかしこうして新卒から1年かけて止まり木を見つけたわけですが、この春マジで退職します。今度は異動でもなんでもなく、派遣元をすっぱり辞めます。

このへんもまた、「生きづらい」が関わるので、改めて記事にしますね。

 

こんな波瀾万丈な新卒でもなんとか生きてる

今回言いたいことはこれに尽きます。

一通りの流れを書くためにけっこう省いてますが、マジで「え、お前そんなこともできないの?」って言われるようなことがめちゃありました。

それで苦しみもしたし、傷ついたことも多々ありましたが、受け入れて応援してくれる人や、私のために叱って導いてくれる人が必ずいました。

 

自分が思っているより、助けてくれる人はいるし、居場所もある。

等身大の自分でここに居ていい。

どんなに無様でも、腐らずに、前向いて頑張っていたら、気付いたらどうにかなってる。

 

だから「生きづらい、でも仕事しなきゃ…」と苦しんでる方、メンタル低下して「もう自分嫌い。生きてる価値なんてない」と思ってしまう方、ちょっと待っていただきたい!

 

今はきっと無理しすぎて疲れてるだけです。

疲れすぎて何もかも負の方向に考えてしまってるのです。

一旦自分を追い込むのはストップして、周りをみる余裕ができるまでボーッとしてみましょう。

意外と助けてくれる人や信じてくれる人がいるものです。

 

それに私みたいに、社会に出た途端ダメなこと続きで無職になる人間もいるし、色んな人がいます。

色んな人がいていいんです。

私みたいな人もいていいし、あなたという人がいても勿論いい!!

 

それを伝えるために、このブログをがんばろうと思っています。

長くなりましたが、1記事目でした!

お粗末!